碧色寨駅
碧色寨駅は蒙自県北10kmの草埧鎮碧色寨村の尾根に位置し、敷地面積は2平方kmです。アヘン戦争の時期1903年フランスが雲南省の鉱物などの資源を奪うため中国政府を強要して、雲南省の昆明からベトナムと境界を接している河口まで滇越鉄道(滇は雲南省の略称、越はベトナムの略称です。)を敷設しました。ベトナムの鉄道と繋がるために滇越鉄道のレール幅は1mしか敷設しませんでした。
1910年5月に滇越鉄道開通した後の一カ月、地元の鉱床を持っている商人李光翰などが自分の土地である個旧、石屏、建水、蒙自で滇越鉄道とつながる個碧石鉄道を敷設する要求を政府に報告しました。個碧石鉄道は中国初めて民営の鉄道で、このエリアの資源を殖民者に奪われないため、レールの幅はただ0.6m作りました。
碧色寨駅では幅1m滇越鉄道のと0.6mの個碧石鉄道二種類のレールが見られます。駅の建物が当時フランス作ったものです。
鶏个線
个旧-碧色寨-石屏間の軌間0.6mの鉄道は、清朝末期の1903年(光緒29年)に雲南省の錫鉱業業者、商工業者がフランスやイギリスによる鉄道敷設を阻止する目的で設立した滇蜀鉄道会社により計画されました。同社は鉄道の敷設権と錫鉱業採掘権を手に入れましたが資金難のため、すぐには鉄道建設を始められず、その後1915年になって建設を開始しました。そして1921年11月に个旧から鶏街を経由して蒙自から碧色寨の北の草坝に至る72.2kmが開通し、さらに1928年10月には鶏街から臨安に至る支線を建設、その後1934年10月に石屏まで延長されました。以上の両線を合わせて个碧石鉄道と称し、全区間軌間0.6mで路線総延長176kmとなり、当時中国唯一の民営鉄道でした。
中華人民共和国成立後には中国国鉄の路線となり、1960年代までにほとんどの路線が軌間1mに改軌または廃線となりました。最後に残ったのが鶏街-个旧間(鶏个線:34km)ですが1990年末に廃止されました。ここではずっとアメリカのボールドウイン製のテンダー機関車が使用されていました。現在この機関車は北京鉄路博物館、上海鉄路博物館にも保存されています。